なんで、わたしばっかり。っていう人。不安や不満はどこから生まれるか。



ご機嫌よう。池田骨🌙助です。


最近は、親戚の回忌に行ってきた。


葬儀にも行ってなかったので、初の対面だ。


心筋梗塞で、当時30歳の女の子である。


おれには兄貴の自殺もあったため、彼女の写真と向かい合った時、


死というものと見つめることになった。


彼女との、挨拶を終え。その家族と酒を飲んだ。


生きるとはなんなのか。死ぬとはなんなのか。


この議論が始まった。


お父さんは、無口でナメられている。息子に「この人」と言われようが、何を言われても何も言わない。息子に対しても無関心だ。

お母さんは、とにかく怒っている。不満と懐疑で生きている。息子や、夫、他人のことを悪く言ってしまう。言わずにはいられない。


どちらも典型的な愛情飢餓感だ。

大人の幼児である。無意識領域での「分かってくれ。愛してくれ。」である。

おれも愛情飢餓の一人なのでその不安はすごい分かる。

意識では不安だが、それを他人へ対する怒りや、自分に対する怒りに変装させて、うつ病になったりする。これを「攻撃性の置き換え」という。


まず、この事実を認めなければならない、事実を認めて、受け入れることができれば、不安が消え、先に進める。


父親も、母親も、子供も、
母なるものを求めている。
母なるものに甘えたい。

親と子供の役割逆転である。

だが、母なるものなんていうのは、
母親しかいないのである。
他人も子供も、
母親にはなれないのである。

どこの時代で狂ったかは分からないが、
この図式を理解しない限り、
おれらヒト属に明るい未来はない。



三人兄妹弟。



長男は、ナルシシズムである。


モテたい、儲けたい、不労所得。

自分のことが好きではないのである。

他人の評価で生きている。

そうすると、妬み・嫉妬・恨み・辛みの世界から出てこれなくなる。

日常的に言いやすい相手に対して、バカにして自分を保つ。

言いにくい相手にはヘコヘコする。


ナルシシズムは、単に「認めてもらいたい」ではない。

「認めてもらわないといられない。」


無意識の中で、強迫的な承認欲求がある。

だから、自分のことを認めないと腹も立つし、傷つく。

だが、傷つけているのは、自分ではなく、

自分の作った理想の自分が自分を傷つけているのである。

自分のプライドが自分を傷つけているのである。

等身大の自分の器の大きさを分かっていないのである。


おれの兄貴と同じ性格である。気を付けなければ彼も高過ぎるプライドがあるため、

恥ずかしくなるような、取り戻せない大きな失敗があった時に、危険だろう。

彼は、常に発展させることが大事。と言っていた。


確かに、発展させることは、寿命を伸ばしたり、人間のQOLの助長には力を発揮する。

だが、100円ショップでモノが溢れる時代、おにぎりを100円で買える時代。

人は、発展によって、大切なものが見つからなくなった。


ガレキの中から大切なものを見つけなければいけないのに、もっともっとと、ガレキを更に集めてしまうのだ。

大切なものは、ガレキの中で泣いている。


発展によって、発展途上国との差が生まれ、不満が生まれ。差別をし、戦争が起きてきた。

人はコントラストで生きている。

自分の給料の高い低いは、自分が決めているのではなく、他人の給料が決めている。


戦時中の貧しい生活の中、砲弾から生き延びたい気持ちもあるだろう。

貧しいにも関わらず、

戦時中は、自殺者は少なかったのである。



だが、豊かになればなるほど幸せになればいいが、そうはならない。

人間の心理は複雑である。

自殺者30000人。

金持ちの政治家も自殺をする。おれの兄貴も貧乏ではない。恵まれている。

発展に囚われると、自分を見失う。

発展するのは大事だが、発展して、No. 1を目指し、その状態に慣れ、また発展を目指し、

病気になり、老いた時に他者に抜かされ、

コントラストで不幸になっていく。


だから、発展は大事だが、強迫的に発展しなければならないのではなく、

自分の本当の器に沿った発展をし、コントラストの部分が人間にはあるのだということを認識して生きていく必要がある。


冷房がない時代は、それが当たり前なのである。

冷房がある時代は、冷房がないと不満になる。

「発展させればいいではないか?」に対しては、

いずれ、人間が何でもできるようになれば、それは「神」的存在である。


以前のブログにも書いたが、それは何でも持っている=何も持っていない。

有=無なのである。生=死。と同じなのである。

追っても意味があるが、追っても意味がないのである。


強迫的ナルシシズムから抜け出すためには、この矛盾を理解する必要がある。



弟は、さとり世代とでも言うのだろう。


それも、自分の存在自体を、認めてくれず育ったので、

自信がなく、夢もなく、誰も好きになったことはない。だが、口は達者で、

「縁を大切に。小さいものでも何か信じればいい。虐待のある家庭でも、それもなにかの縁だからそれを信じたらいい。」と言っていた。


おれも屁理屈家だが、彼は、相手に言い返せれば、一時的に劣等感を癒せる。

「これはイチゴ?」「いやいや、違うよ。果物だよ。何言ってるの?」という世界で彼は生きている。



親自体が愛情を受けずに育つと、愛情飢餓感から、子供に愛情を与えられずに、

また子供が愛情を持たずに大人になる。

愛情飢餓感からくる負の連鎖。


この話をしたが、お母さんは息子に「うちは私でよかったわよね〜。」と言った。

認めないというより、気づいていないのだ。


こういった家庭は現代の日本5万とあるだろうが、その事実自体を受け入れることが、自分の救済への最初のスタートなのである。


毎年自殺者が30000人出ている。

原因は色々あるだろうが、

その自殺者の家庭は、間違いなく愛情飢餓を患っている。


不登校、いじめなど様々な問題を抱えている家庭も、親、子供どちらも愛情飢餓を抱えている。


エリートの家庭も自殺をする。


「何言ってるんだ。甘えた世界に住むな。うちは違う。」と異を唱える人もいるだろう。

だが、そういう人が、事実を認めて受け入れない限り、不幸な家族は無くならない。


その子供がまた、子供を作った時に、同じことを繰り返すからだ。



おれは今回理解した。

おれの会話も音楽活動の一種である。音楽は執筆でもあり、「伝える」ということに限る。


だが、相手に、無理に理解させようとしても、

それは波風を荒立たせるだけだというのが分かったのである。


おれが表現させたことで、

おれが今まで悩んできて解決してきたことを、

「知りたい」と思った人に伝われば平穏の中での活動ができると感じた。


議論っていうのは、難しい。

相手も、人間。

この200年で、地球は10億人から70億人に増えている。

学校や職場でいじめて、劣等感を癒すものもいるし、

日本赤十字軍や、イスラム国のような価値観を持つものもいる。


人数が増えれば競合が増える、奪い合う。

いじめる。戦争になる。

発展は必要だ。いい布団で寝たい。

だが、発展の副作用がこれである。


発展には犠牲が必要だと、親戚の兄は言った。


だがもし、

自分の愛する嫁や、子供が犠牲の対象になった時、その言葉は撤回するはずなのだ。


つまり、結局、自分が良ければいいのだ。

その思考では、いずれ、世界は崩壊する。

いじめも起きるし、戦争になる。


愛情飢餓からくる不安感から、良いことも悪いことも、人は行動している世の中だ。


このブログを読んで悩んでいる人も、自分のことを考えてみてほしい。


100人が100人、個別に聞くと、

戦争したいという人はいない。

だが、人間は、戦争の歴史を繰り返している。


強迫的ナルシシズムである。



最後に、

辛くない人間なんて、ロボットである。


辛いから人間なのである。心がある証拠である。


おれもキミも、人間なのだ。これからだ。



「キミはここにいて良いんだよ。」


これが平和になる、魔法の言葉である。



参考心理学者「加藤諦三」


酸っぱいぶどう。


あのぶどうが高くて取れない。

だから、あのぶどうは酸っぱいと決めつける。

自分が高くて取れないことを認めれば、

楽になる。先に進める。味方ができる。


池田骨🌙助の墓場

墓場のバカンスへようこそ。 とうとう、辿り着いてしまいましたね。 骨になるまで、ごゆるりと~。

0コメント

  • 1000 / 1000