自分とは何なのか?


池田 骨🌙助です。ご機嫌よう。


まず、嫌悪感を抱く人の可能性を無くすため、

最初に言っておく、


おれの家は、熱心、盲信な創価学会だが、

おれは宗教家ではない。

何かを信じることはない、

無神論者・現実主義者である。


それを踏まえた上で、見てもらおう。




人間は子供の頃は、無知である。

無知であるが故に、自由である。

限界を知らずに生きれる。

限界を突破する勢いで生きることができるのだ。


だが、大人になり、いろいろな価値観とぶつかり、

現実の知識が増えるようになり、限界というものが見えてくる。


それはもちろん、死や、病気、別れなど。

生を持てば、必ず起きるものである。


お釈迦様や仏陀と聞くと、宗教じゃないか!と思う人もいるであろう。

かつての自分もそうであった。


それは、現代の日本が、仏陀からの教えの解釈により、

宗教間の派閥で排他的争いとなっているため、まるで仏陀が

神様であるかのように、

勘違いしてしまっているのだ。


ブッダと書けば、何となく壁は薄れる。


ブッダは2600年前に実在していた、おれらと同じ人間である。


彼もまた、生きることに悩み、考え、人生を生き抜いた。

その考えは、何かを崇拝するような宗教的考えではなく、

人間はどうしたら、悩みを解決して生きていけるかという

人間哲学なのである。




自分とは何か?

これを答えられる人は、そういないのではないだろうか?


「自分は自分だよ。」では答えになっていないのだ。


自分とは何か?がはっきりしないと、自分の芯がブレる。

不安や、焦燥感が出る人もいるだろう。

これでは、人生を強く生きていくことは不可能である。


ブッダの言葉の中で、「諸法無我」という言葉がある。

諸法=すべてのもの

無我=自分はない・魂もない


すべてのものは自分のものではない。という意味である。


魂があるとされるのは、キリスト教。

仏教によっても様々だ。


人間の身体は、37兆個という細胞や、ばい菌、微生物で出来ている。

それらが新陳代謝で入れ替わり、立ち替わりしながら、人間の体として生きている。

7年もすれば、人間の身体は全く別の生き物になっている。

(これは、作家の中島らもも同じことを言っていた。)


そして、近年では臓器移植なども可能となり、自分ではない他人の身体として、

生きることもあるのだ。


それを考えた時に、自分とは、身体ではないのである。


それでは、心にあるのかと言えば、心など、昨日やっていたことが明日には

変わるもの。

明日辛いもの食べるぞと思っていたとしても、当日お腹がピーピーになったとしたら、

旨辛キムチなど食べたくないのである。


つまり、身体も心も自分ではないのである。


これを「諸法無我」という。


自分のものだ!と執着するのも、防げる。


自分が死ぬという観点を考えた時にも、

もともと自分のモノではないのである。

そして、人のモノでも誰のモノでもないのである。


もう一つ「諸行無常」


これは、変わらないことなど、何一つもないと言うことだ。


ずーっと幸せなこともないし、ずーっと不幸なこともない。

人間はいずれ死んで、また、次の細胞となったり、土や川(H2O)や

澄んだ空気(CO2)に変わる。また違う形で存在するのだ。

永遠に続く夫婦もいない。

太陽の炎も消えれば、地球もいずれ枯れるだろう。


変わらないことなど、何一つもないと言う事実を認めることである。


自分というものは、ないということが分かれば、楽になる。

怒りに囚われた執着も起きない。


1+1=2ではない方程式が、

ここにも、起因するのだ。




少し、自分のことが分かってきただろう。


あとは、自分が、どう生きればいいかの話をしよう。


周りに可愛く見られたくて、モテたくて無理して疲れている?


昇進したくて、言いたくもないお世辞言って、行きたくない接待に付き合って、

神経すり減らしている?


道の端っこで咲いている一輪の花を想像してみよう。


その花は、おれらとおんなじさ。


昔から回ってきた細胞や、粒子がその花になっているんだ。


おれらと変わらない。水も飲むし、成長だってする。生きたいと感じているかもしれない。


そしたらさ。その花はどう生きているかな?


カッコつけてるかな?何時間も化粧してるかな?

いずれ、老いが来て、シワも出来て、絶対に抜かされるからね。


金儲けして、ブランドで固めて、権威や地位を必死で守ろうとしているかな?

人に、無理やりでも、抜かされないようにして、理不尽なプライドが形成されてしまうね。


その花は、そのまんまなんだよね。


そのまんま、両手を高く上げて、おひさまにこんにちわして生きてんだよね。


ありのままってよく言うけど、本当のありのままって、そう言うことなんだよ。


何にもなくても、気持ちいい。


何にもなくても、爽快なんだ。


生きることって、すごいこと。





参考:加藤諦三、ブッダの言葉、シッタカブッタ



池田骨🌙助の墓場

墓場のバカンスへようこそ。 とうとう、辿り着いてしまいましたね。 骨になるまで、ごゆるりと~。

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