なぜ苦しいのか。そして、自由になるには。
ご機嫌よう。池田骨🌙助です。
なぜ苦しいのか。そして、自由になるには。
そのメカニズムについて書きたいと思う。
昔の天然の彼女が言った言葉を添えて。
「ケツの穴かっぽじって、よく聞きな!」
辛い出来事も、
なぜ自分だけが!と思うような事も、
全て自分の選択で辛く、不自由になっている。
(選択できない年齢の幼児は別である。
愛情飢餓による執着を、愛と勘違いしている親の元に生まれた幼児には、選択権はない。その親は、子供の不幸で喜び、劣等感を癒し、安心し、自由を奪うからだ。)
全て自分のチョイスした道で、
その出来事が起きている。
多少、冷たい言い方かも知れないが、
全ては、自分の責任なのだ。
家族のため、子供のため、ペットのため。
お金が必要なため、残業をしてまで、
深夜まで仕事をしている。
なにを言ってるんだ!?
大切なものを守るためだろう?
と言うのであろう。
だが、
その家族を作ったのも、子供を作ったのも、
その人が選んだ道なのである。
有無同然なのである。
無ければ寂しいが、
あればあるだけ、大変になる。
動けなくなっていく。
これは全てに当てはまる。
キミの人生の行動範疇にも、
全てにおいて、当てはまる。
もちろん、おれにも。
『時間を作れないのは言い訳である。無理してでも時間を作れ。』という言葉を聞いたことがあると思うが、
自由を削ってまで、なにかをするという考えである。
おれは、これに異を唱える。
車のアクセルを考えれば分かりやすい。
自由時間は、車のアクセルの遊びである。
そこに、新たなアクセルを加えても、急発進して事故を起こす可能性は高くなる。
詰め込むのは、緊張を高める。
自分を更に追い詰める。
ここでも、ミニマリストを適応すると良い。
もともとのタスクを削るのだ。
人はみな、パワーがあって、速い車を求める。誰よりも1番になりたいからだ。
優越感で生きている感覚を得たい。
だが、それでは、必ず、エンストを起こす。
アクセルを強く、踏み込めば人生がうまく行くと思っている。
逆なのである。
自分の能力を考え、
自分の枠を超えないようにコントロールをする。
自分のタスクオーバーは、その人自身の責任である。
余裕が無ければ、
心や、対人関係で事故を起こすのは当然である。事故を起こされた方は、たまったもんではないのだ。
この資本主義社会では、余裕は悪とされるが、それは、人間の心を壊していく。
他人が何と言おうが、
自分がのびのび生きて、人に優しくするのが、ベストである。
資本主義思想に、飲まれるな。
それは、国益のための、
偽りのプロパガンダである。
金は大事だ。時間は大事だ。
人の命は限られている。
だが、
これが、1番になってしまうと、
道を見失う。
道を見失うと、本当に大事にしなきゃいけない、身近な物まで見えなくなる。
灯台下暗しである。
ミニマリストの本質は、
物を少なくすることではない。
どれだけ物を少なくしたか自慢をするミニマリストもいる。
誰よりも物を減らしたことで、有名になり、
1番になることを目標としている。
物を、置こうものなら、怒りに我を忘れて怒り出す。
これでは、ミニマリストではない。
1番になることに、1番から落ちることに、
苦しむ人生になる。
ミニマリストの本質は、
自分にとって、大切な物を見つけるために、
物を少なくするのだ。
タスクもそうである。
時間もそうである。
お金もそうである。
心もそうである。
ガレキの山にあなたがいるのなら、
その中の大切な物が、
見つからないであろう。
本質を見るのだ。
キミは自由になれる。
キャリーケースに詰め込みすぎても、
人生が辛く、重たくなるだけだ。
軽やかに生きるんだ。
不安になる気持ちは分かるが、
そのキャリーケースに物を詰め込んだのは、キミだ。
自分の人生に責任を持つんだ。
責任を持てば、相手に対して苛立つこともない。相手への期待は、自分を弱くする。
苛立ちは、相手への無意識のコントロール願望である。
おれはパートだ。
資本主義世界でのクズだ。
今の時代は、働き方改革で、
週4日の正社員などの動きも出始めている。
余裕は、自分で作る。
アソビは、自分で作る。
子供に、おもちゃを出したら、
片付けなさいと言うならば、
まずは、自分のタスクから片付けるのだ。
それが、本当の大人であり、
それが、本来の人間の生き方なのである。
余裕を作り出せる生き方が、
すくすくと生きる方法であり、
苦しみから抜け出す方法であり、
自由なのである。
キミは苦しみから解放され、
自由を手にすることができるのだ。
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