お笑い、音楽、パフォーマー。表現者、共通の方程式。



池田骨🌙助だ。ご機嫌よう。


 今日は、ご機嫌ようと名前の順番を入れ替えた。 


それは、今までの自分を脱却するためである。脱皮とも言えるだろうか。


 プライムビデオでテレビ東京のMASKMENを観た。 

野性爆弾のくっきーのお笑いに、俳優の斎藤工がお笑い芸人として、挑戦するというものだ。


覆面で声も出さずに、俳優業をバレないようにして、

お笑いに挑戦する。


おれはくっきーの超尖ったお笑いが大好きなのである。


この番組では、お笑い界の本当の姿が映し出され、

7年前の音楽活動を思い出したので、語るとしよう。




斎藤工。

お笑いが好きなのだろう。

笑ってはいけない24時のサンシャイン池崎のモノマネをした時も、

おれは、俳優なのにここまで本気でお笑いに取り組んでるのかと、感心した。


だが、声を張り上げないイケメン俳優が、あのネタをするから、意外性があって笑うという

笑いがそこにはあった。


お笑いの形は、常に、アメーバのように形を変える。


島田紳助は言った。

お笑いの方程式だ。X × Y=笑い

「X」は自分の能力。自分ができること。 

「Y」は世の中の流れ。世の中で何がどう求められているか。


この斎藤工はガキ使のスタッフ(高須光聖・菅賢治・世界のヘイポー)などの企画力なども

あるだろうが、笑ってはいけないで、彼は、求められるものにマッチしたのである。


アメーバのように変わる。

彼が、俳優としてではなく、芸人としてライブをして、舞台に立った時に大いにスベった。


腕のある芸人は、スベった時のフォローを用意して、スベりを回避する。

もちろんピンで出演しているため、フォローも難しい。ネタも完成しているからだ。


斎藤工は吉本無限大ホールの初舞台で大いにスベり、お笑いを恐れた。

そして、怯えて、マスクをつけられなくなった。


そのシーンを見て、おれは、昔の自分を思い出した。

おれも、音楽だが、その反応は手に取るように分かるのだ。


だが、斎藤工は立ち上がった。そのガッツに一票を投じる。


吉本NSCの講師として野々村友紀子(元お笑い芸人:同期はタムケン・ケンコバ・ザコシシショウ)が、彼のお笑いを指導した。


彼女の言葉は、斎藤工だけでなく、おれの心にもナイフを突き刺した。


「自分のこと、可愛いと思ってるやろ?」

「お笑いをなめんなよ。」


決して、舐めてはいないが、お笑いの氷山の一角を見ただけで、お笑いをするなということなのだと悟った。


基本あのような口の悪い女性は苦手だが、本人もお笑いをしていたので、的をズバッと貫くのである。


お笑いのライブに来るのは、笑いに来ているのにも色々理由はあるだろう。

だが、何かを求めて来ているのだ。

自分の人生に何か影響があるくらいの屈曲した笑いが欲しいのだ。


音楽も一緒である。

音楽も、ただ明るい、ただ暗いではないのだ。

人の人生を左右するものであるのだ。

おれは、忌野清志郎、中島らも、ブルーハーツに多大な影響を受けた。


おれは「音楽をなめんなよ。」と聞こえたのだ。


斎藤工の苦悩を、バイキングの小峠英二や、永井がアドバイスを出していた。

普段は、おちゃらけている芸人も、真剣に悩み、お笑いの深いところまで追求し、

お笑いと向き合っている。


おれは勉強になった。

まだ、音楽活動を開始していないからか、

どこかで夢を見ている自分に、甘えている自分がいたのであろう。

下北沢の街に慣れ親しんでしまっていたが、

その番組を見た時から、下北沢の街がピリッとし出したのだ。


ビラを配る売れないお笑い芸人。

アンプ無しでストリートライブをする女の子。

みんな真剣なのである。


くっきーは言った。

デビュー当時から、やっていることは変わっていない。

客が自然と見に来るようになった。

スベってもいいと思ってやっていた。

自分が作ったネタなんで、

自分がやりたいことをやって、

楽屋で芸人の先輩や後輩が笑っててくれたらいい。と。


ものまね芸人ミラクルひかる、吉本NSC講師サンキュータツオはこう言ったという。

「野性爆弾くっきーの芸風は鍾乳洞」と。

やり続けて、やり続けて、奇跡的にあの形になったのだと。

第三者がやっても成立するわけがないと。


これは、このブログを見ている人全員にも言えることなのだ。


自分らしさとは、まさに鍾乳洞なのである。


おれも人生で、鍾乳洞は2・3度しか見たことがない。

だが、どこにもない美しさがそこにはあるのだ。


渋谷のセンター街の、スクランブル交差点で斎藤工は

素顔で路上ライブをした。ヘルスのネタだ。

ウケるかウケないかではなく、

やったことに対して、彼は俳優としてはもちろん、 

芸人としても、大きなものを手にしたのである。


ストリートまで、あと約3ヶ月。

2019年12月21日に

秋葉原か、新宿で

池田骨🌙助は本当の意味でうぶ声をあげる。


2021年3月15日には兄貴の兄貴になる日がくる。

その日にはバンドを組んで追悼ライブでもしたいと思っている。


音楽にもX × Y=音楽の方程式は、あると思う。


だけど、野性爆弾くっきーのように、=の先の答えに合わせて、Yを変える必要はないのだと、

改めて、思ったのだ。


お笑いも音楽も奥が深い。

まさに鍾乳洞の洞窟のように。


だが、それでこそ、

やりがいがあるのだ。歩きがいがあるのだ。


おれは、新たなステージに立った。



池田骨🌙助の墓場

墓場のバカンスへようこそ。 とうとう、辿り着いてしまいましたね。 骨になるまで、ごゆるりと~。

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